育児講座 No.9  子供の病気

 
   

 
       赤ちゃんを育てるのは楽なものではありません。今は、紙おむつ(年がわかりますね!)があって楽になりましたが、長女を育てた25年前には紙おむつは一般的では なかったのです。6つ下の弟の頃には立派な紙おむつがありました。しかし、本人が嫌がったため、布おむつでそだてました。日に60枚は必要で100枚在りましたが一雨振るとたちまち家中が物干しでおむつの満艦飾でした。  
      私も家内と一緒に家で仕事をしていましたので、泣き出した赤ちゃんの声で、おむつなのかミルクなのか、それとも具合が悪いのかはすぐにわかるようになりました。下痢、おう吐、発熱、咳、丁度母親の免疫が切れる6ヶ月の頃から 、下の子が6歳になるまでほぼ12年間ひっきりなしに近所の小児科に通いました。診察の順番を私が取り、呼ばれる頃を見計らって家内は子供を自転車に乗せて連れて来ます。診察が終わると家内が子供と先に帰り、薬と会計は私の仕事でした。お母さん一人では本当に大変だと思います。  
      今日は「医者にかかる」と云う事を見てみたいのです。最初は周囲に相談出来る人も無く、親だけで小児科に連れて行くかどうかを判断するのですが、その度に夫婦喧嘩になりました。  
      家内は咳をして少し熱があるともう不安で「すぐ医者に見せよう。」といいます。私は風邪だから「風邪に効く薬は無いしどうせ1週間で直るから止めておこう。」と考えたからです。まあ 、どちらが正しいのかはなんとも言えませんが子供の風邪の治療で大変な失敗をして、もう少しで長女が死んでしまう所まで追い込まれた事が在りました。    
     長女が8ヶ月の頃でした。もうつたえ歩きをしていた長女がある日の夕方39度の高熱をだして咳も痰もひどくなったのです。翌朝近くの小児科で見てもらったのです 。しかし、ベテランの医師は様子を見ると云う事で、薬も出ませんでした。家内は怒って、他の小児科に行く様に決めたのです。なぜならば私は流行っている小児科は沢山いる他の子供の病気をもらうからやめて 、何時も空いている一番近所の小児科に通う様にさせていたからなのです。   
     そして、大変繁盛して込んでいる遠くの小児科へ連れて行きました。そして薬を沢山もらいましたが3日たっても一向に直りません。そして家内は不安になり、もっと流行っている 市内でも有名な別の小児科にも連れて行って診察を受けたのです。そこでも薬が出されました。そして、1週間たっても全く風邪は直らないで熱も咳も鼻も痰も酷くなるばかりです。当然です。1月の末で小児科は風邪やインフルエンザや麻疹に百日咳や手足口病などの子供で一杯だったからです。 免疫の無い子供に小児科の梯子をさせたのですから次から次へと新しい風邪に感染させてしまったのです。   
      医師から頂いた薬には抗生物質が入っていた様です。その薬が原因で白色下痢になってしまいました。ぐったりした娘を連れて、市で一番大きな総合病院の小児科病棟に入院する事になりました。そこは子供にとってまさしく地獄でした。夜は回りのどこかで泣き出す子がいて 子供も付き添う家内も一晩中眠れません。そして、朝は若い看護婦さんが小さな赤ちゃんの手に点滴の針を刺すのです。幼児の手は小さく、血管も細く小さい のです。その上あまりの痛さに子供が恐怖で強張り逃げ回るのです。数人で子供を押さえ込んで15分近くもかかって針を血管に刺すのです。 そして、収まらない下痢の期間中点滴が朝から夕方まで続きます。四六時中眠れないのです。  
      当然の事に10日程入院していても下痢は一向に収まらず子供は骨と皮になってしまいました。そして家内の実家からも両親を呼ぶ事態になってしまったのです。見かねた私は医師に相談しました。 若い医師はお手上げで「もうこれ以上の治療法は無い。」とさじを投げられてしまったのです。  
      私は、即座に「では娘は家に連れて帰ります。」と言って付き添って不眠不休の看病に疲れ果てた家内とガリガリの長女を車にのせて帰宅したのです。せめてこの子は自宅で死なせてやろうと云う思いでした。   
      子供を別の部屋に寝かせて、家内とカワハギの干物と味噌汁だけの簡単な食事を取っていたのです。すると、寝ていたはずの長女が食卓まで這いずって来たのです。丸い座卓のへりを掴んだかと思うと、目にも止まらぬ早さで私が食べていた干物を横取りしてむしゃぶりついて食べてしまったのです。  
      そして、あたりの物を手当たり次第に手に掴んで口に運んだのです。下痢やおう吐を心配しましたが、食べたいだけ食べさせてやりました。その日、娘は入院以来10日 間も殆ど眠れなかったですが、ぐっすりと眠りました。すると次の日にはもうすっかり元気になり、3日もすると嘘の様に完全に直ってしまいました。  
     このときに身に沁みてわかった事は次の事です。「子供に限らず全ての病気は医者が直す物ではなく、十分な食事による栄養と睡眠が取れれば、ほっておけば大抵の病気は体に備わった免疫の自らの力で全て直る。」と云う当たり前の事でした。   
       そのころ隣の静岡市に神学校の後輩が赴任してきました。元金沢大学附属病院小児科医で医学博士であったその牧師に、この事をお話しするとこういわれました。「子供にどんなに熱があって咳などの症状があっても、食欲があって機嫌がよければ心配ありませんよ。」ということでした。   
      もうすこし早くこの事を知っていれば、子供にあんな辛い目に合わせ、こちらも大変な思いをする様な失敗はしないですんだものと思わされました。     
      明日は、小児喘息についてお話したいと思います。  
        
        2013年10月26日 11:58:36  
   

 
       
       
       
         
   
 
   

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1998. 5. 19   初  版   167p. 7Mb        2013年10月26日 11:58 更新
 

 
       
   

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